【机上の空論】にどりやのメモ帳

世の中の現象や出来事は頭の中でも起きている。

やってはいけない問題提起

最近、騒ぎを起こした後に問題提起だと言い訳するケースが多くなっています。意識し始めたのは熊本の子連れ市議のときです。そして最近だと元日に大活躍した国賊村本です。

子連れ緒方はまだマシだったと思います。結局主張したことは子育てと仕事の両立という社会問題だったからです。

一方、村本の場合はその発言の性質上、問題提起自体が問題なのにそれを問題提起だと開き直っています。問題は沖縄は中国から取ったから攻められてもいい、ととれるような発言です。これは中国が沖縄に攻めていいのかどうかは「沖縄は中国だった」の真偽よると言っている事になる。つまり侵略の正当性をその領土の歴史に求めているのです。

 

もちろん沖縄は中国だった事などありませんが歴史というのはうるさく言えばそれが正しくなるという面があります。それに領土の歴史そのものも大切かも知れませんが中国だったと言って納得する沖縄県民なんていないでしょう。

争点を領土の歴史に持って行っただけならまだ良かった方かも知れません。論点を歴史問題に移しつつ、「中国から取った」事にしたのが、この問題をさらにひどくしたところです。中国が侵略する根拠として領土問題を結び付けるのですから、論理的にはその領土の歴史についての議論に進めるべきなのですが、それをせずに中国に有利な「デマ」を前提にしてしまったのです。前提となってしまった事は根拠がなくても真実であるかのように感じてしまうため悪質です。だから村本の問題提起が批判されるのです。

一方、ガキの使いの「笑ってはいけない」で顔を黒塗りにして黒人の扮装をした事が差別だと言われていますが、これは問題提起にならないのでしょうか?あれを放送したことによって黒人が差別された歴史や何が差別なのかという議論がされるようになったはずです。差別ではない限りどう思われようとやっていく、でなければあのような芸が封印される。その姿勢で芸をやったのが結果として問題提起になったと考えることも可能です。

村本の無知を擁護する長谷川豊のような人間から見れば、黒人の差別問題に対して無知であると批判する人間も心底頭が悪いと思うでしょう。