【机上の空論】にどりやのメモ帳

世の中の現象や出来事は頭の中でも起きている。

ガキの使い、黒塗りは黒人差別なのかどうか…はどうでもいい

笑いの表現における異文化強制問題。本当にくだらない。

 

ただやっかいなのは、こういうのはすぐオリンピックが持ち出されます。オリンピックがあるから外国人に配慮を、っていうやつです。オリンピックなんてテロさえ起きなければどうでもいいし、そんなに文句言うんだったら来るなと言いたいところです。

 

しかしオリンピックは頼まれたのではなく、やりますと言ってやる事になってるので、だったらオリンピックやらないとか来るなとか言ったらそれは無責任です。なので、たとえ異文化強制だったとしても、それが世界の標準だったとしたら聞くべきでしょう。

 

ただそれにしてもこの問題に関しては大げさだと思います。変装して人を笑わせるなんて普通の事です。しかし批判する人は、わざわざ大昔の外国の喜劇を根拠にしてやっと差別だと主張しています。この指摘に関しましては大変申し訳ありませんが、そのような大昔の価値観からは脱却しているので差別であるとは全く思っていません。時空を超越させて価値観を押し付けるのはやめていただきたい。

 

確かに2020年にはオリンピックがあり外国人への配慮は必要と思われるかも知れませんが、だからこそ時代の流れに逆行するわけにはいきません。

 

テレビで放送された不愉快な表現については、起こるたびに騒いでもきりがありません。気にいらない表現は外圧とかクレームで解決するのではなく、経済的な原理で淘汰されるのが理想だと考えています。

 

多くの人が見ているのに不愉快な表現が出てしまうのは、総務省に認められたテレビ局だけが放送できて市場の原理が働かないからでしょう。電波オークションが導入されていれば競争が発生する分、少しは民意が反映されやすくなると思います。それに、免許による公共性がなくなれば、騒ぎが発生しても無関心でいられます。どんなに気に入らないテレビ局だったとしても、公共性を持つ局が理不尽に批判されれば反発してしまいます。

 

とにかく毎回文句を言ってもしょうがないので、業界のシステムそのものがどうあるべきか、その議論が必要だと思います。