【机上の空論】にどりやのメモ帳

世の中の現象や出来事は頭の中でも起きている。

女人禁制の土俵で考える「原則と例外」


土俵で市長が倒れ、駆け付けた女性が救命活動をしているさなかに「女性の方は下りてください」とアナウンスし、女性が下りた後の土俵に大量の塩をまく。この状況説明には異論はあるかもしれませんが、仮にこの説明が適切であるとして話を進めてみたいと思います。

相撲においては土俵上は女人禁制という伝統があり、これに基づいて女性を下りるように促したり下りた後に清めの塩を大量にまいた、と考えるのが一般的な見方です。そしてこのことから相撲のこの伝統が女性蔑視であり、これを機会に見直すべきだ、という考えが広まっているようですがその必要はないという事をここで説明してみます。

問題とされる行動の一つ目、女性を土俵から下ろすようにアナウンスした事については女性蔑視の問題ではなく、明らかな緊急事態に対応できていないというのが問題だと見ています。これは「原則と例外」という考え方を当てはめれば分かりやすいと思います。「女人禁制」は原則であって、女性が人命救助のために土俵に上がる事は例外として許されるべきだと考えるのが普通でしょう。いくら伝統でも土俵の上で起こりうる全ての現象を「相撲」で説明できるはずもなく、土俵上で人が突然倒れるなんていう事はもはや「相撲」の概念にありません。だからこそ女性の人命救助は例外であって、例外の存在によって原則の瑕疵を主張する事などできないのです。

それに、伝統として定着していたのになぜ今になって女性蔑視などと言うのかがわかりません。万が一知らなかったのであれば相撲にそれほど興味がなかったのでしょうが、だったら伝統に口をはさむべきではありません。そして、少なくとも「はだか祭り」は知っているとは思いますが、この神事では男性の死亡事故が発生しています。伝統によって女性が蔑視されるのは許せないが男性の死はどうでもいいとでも言うのでしょうか?

もう一つの問題とされているのは女性が下りた後の土俵にまかれた塩が大量だった事です。女人禁制であるなら清めの塩は大量であるべきかも知れませんが、そうでなかったとしたらただの誤解だと思います。その誤解が女性蔑視に基づくものであるとは考えられません。むしろ問題なのは、わざわざ塩を大量にまくのがあまりにもマイペースすぎるというか、緊急事態という意識が薄すぎるという事です。確かにある程度場が収まれば塩を多くしたところで市長の容態が良くなるわけでも悪くなるわけでもありませんが、あのような状況になってしまえばそこは「神聖な場」ではなく「事故現場」です。

以上を踏まえればこの騒動の問題は全体的に「原則」を拡大しすぎたところにあると言えます。そしてその原則をあたかも女性蔑視であるかのように騒いでいるだけなのです。人命を軽視してまで伝統を押し付ける事と女性蔑視の問題は全く違うという事を理解してほしいものです。

お花見で芽生える愛国心

愛国心」といいますと保守的で文字通り国を愛する心である、という感じがします。道徳教育において愛国心を自己評価するという話題が上がっていましたが、「それでは愛国心とは何か」と疑問が起きてもおかしくはありません。これについて、実はふとして沸き起こる感情にも愛国心と呼べるものがあるのではないか?と思うことがあります。

 

それは何かというと「お花見」です。つまり満開の桜を見てそれを愛でる心もまた愛国心なのではないかと思うのです。それは桜の起源が日本だから、という理由ではありません。どこぞの国では「自分達の国が桜の起源だ!」などと歪で、嫉妬のような「愛国心」を見せてくれますが、何も起源にこだわっているのではありません。

 

なぜ桜のある風景が素晴らしいのか?

 

そもそも桜があってそこでお花見ができるのは、何よりその場所を作ってくれた日本人のおかげです。きれいに桜を並べて、美しい景色を作り、花見でゴミを出さないようにしてくれているからです。桜を愛でる、という事はそういった方々の協力の結果できる事です。だから桜を愛でるその心には日本人への感謝の気持ちも無意識であったとしてもあると思うのです。

 

久々にお花見に行ったのですが、思ったよりも景色は素晴らしく公園は清潔でした。日本人が築き上げた文化に触れて共感することによって愛国心が生まれるのだ、という事を「桜」の存在によって考えさせられました。

増井町議の嫌韓が差別であるという印象操作

奈良県安堵町の増井敬史町議がフェイスブックで公人を罵倒した投稿をして批判が殺到、フェイスブックでは規約違反とされ、町議会では処分が検討されました。この騒動に関して投稿の内容がヘイトスピーチであるとした記事が出ています。投稿内容が伏せられていて正確な判断ができませんが、記事の内容、嫌韓を自称していたこと、公人への罵倒内容、そしてヘイトスピーチという言葉を使っていることなどから推測すると韓国、朝鮮人に対して差別をしていた、と遠回しに言いたいのだろうと思います。しかし削除された投稿には個人に対する憎悪はありましたが人種差別の要素は全くありませんでした。

指摘の多かった部分を見てみますと

「極悪非道の在日Korean」

根拠があるとかないとかそれ以前の問題として、「在日Korean」と決めつけるとなぜ差別なのでしょうか?仮に私が宇宙人だと言われても差別されているとは思いません。宇宙人であることの証拠も求めません。事実無根だったとしても差別とは別の問題であるはずです。ちなみに「極悪非道の在日Korean」と取り上げられる事が多いですが、増井の投稿を正確に書くと「日本の国益を毀損した極悪非道の在日Korean」です。なぜ、「日本の国益を毀損した」を省いて「極悪非道」を残すのかはわかりません。

「万死に値して余りある」「両足を牛にくくりつけて股裂きの刑にしてやりたい」

やっていることが外観誘致に匹敵すると思えば股裂きの刑にでもしたくなるでしょうが、これはもう差別ではなく憎悪でしょう。「極悪非道の在日Korean」「股裂きの刑にしてやりたい」と繋げて人種差別っぽくする批判がありますが、増井の投稿ではそうなりません。勝手に繋げて、勝手に人種差別と決めつけているだけです。

このような報道をするとあたかも嫌韓でいることが差別であるかのように思われかねません。「憎悪」を意味する「ヘイト」をいったん「差別」として扱うことによって、批判、罵倒の際にみられる「憎悪」を理由にそのまま「差別」とする、こんな言葉の使い方が浸透してしまったように思います。不当な差別を受けたことにすれば同情が得られ、憎悪を伴う言論を封じることができるのですから「ヘイト」という言葉を利用した印象操作が可能でありそれを実行している疑いがあります。

もし憎悪が差別の根拠として十分であるならどこの国でも同じ事が言えます。北朝鮮は明白であるとして、慰安婦で騒ぐ韓国、その韓国を批判する日本。もうほとんどの国が差別国家になってしまいます。それとも憎悪に線引きを設けて差別判定でもするのでしょうか?とにかく差別国家だらけになってしまったら増井を集中的に批判している場合ではありません。文句を言えば差別だ、とやっているのにその相手が偏っているのは本当の意味で差別です。そして言ってることが事実ではないならその事実を否定し、デマだと批判すればいいのです。

公人の立場で汚い表現をするなと言うならもっともな意見です。ただ個人的には公人が汚い表現をするのは構いません。確かに突然「ポア」なんて言葉出されたら困りますが…。ただ自分の言葉には責任を持って欲しいです。信念からでた言葉を撤回して謝罪することこそ無責任だと思っているので、そんな事は求めません。批判されている方がマシです。この件については、謝るくらいなら最初から言わなくてよかったと思っています。

黒塗りが世界に認められないなら…

黒塗り論争がまだ続いているのは、松本がコメントを出したから…でもなさそうです。まあ日本を批判して相対的に自らの品位を上げたいとでも思っているのでしょう。

 

差別の歴史がどうこう言っているようですが、その歴史は日本の歴史でしょうか?ダウンタウンガキの使いだって歴史があります。彼らは黒人の変装だけでなく、ありとあらゆる変装をしてきました。そういう歴史を日本で作ってきたのであり、その歴史は外国人の持ち込んだ歴史より優先されます。

 

また、日本の芸能にやめろと文句を言うなら、その人間が白人だろうが黒人だろうが、人種に関係なく嫌いです。外国人の病的発狂について、日本では責任を負いません。そのような発狂につきましては自らの責任で対処して下さい。そうは言っても、わざわざ外国人を怒らせようとしている訳でもありません。なので私は世界に受け入れられるような黒塗りが日本でできるようになる事を願っています。

黒人差別よりもひどい、老人差別の犯罪番組?

ガキの使いが黒人差別と言われていますが、もっとひどい放送があります。それは「フジテレビ老人火あぶり致死事件」と呼ばれた放送です。実際の放送は見ていないし、後にネットで炎上することになりましたがその時に知ることはなく、後になって何かのきっかけで知ることになりました。知らない人はこの放送があったという事を知って欲しいです。

 

ジャーナリストの中川一徳が記事を出してから知られるようになったこの事件を簡単に説明をします。火を付けてそこを老人に歩かせる、というものです。一応、その老人は認知症の疑いがあって、火を渡れると言ったのはこの老人自身でした。あまりにも火が強すぎるので失敗どころか大けがをして、その後重篤な状態に陥りましたが局は一切連絡を取りませんでした。この事について警察から調査を受けましたが、なんとフジテレビ側は撮影の存在そのものを否定しました。しかしその翌日には、存在を否定していた老人火渡りの映像を放送しました。この映像がどういう番組で使われたのかというと、出演者が貴族に扮して無表情を維持しようとするところに、映像を見せて笑わせようという番組で、その笑わせる映像として使われたのです。笑ってはいけないとそっくりの構造です。

 

今にも危機的状況に瀕しているというのに、一方スタジオではその原因となった火渡りの映像を見せて笑わそうというのです。内容があまりにもひどすぎて嘘ではないかと疑ってしまうような事件ですが、フジテレビ側はネットに上がった動画の削除に徹し(普通といえば普通だが)、この件に関してコメントをしていません。さらに、記事を出した中川一徳に対しては、法的措置を取っていません。しかし、少なくとも放送自体はある事だけは確かです。であればこの事件はあったのではないか、と推測するのは合理的だと思います。

 

黒人に扮して笑いを取るのは許されないと言うが、老人を殺害しながらそれを笑いにするのはもっと許されないはずです。ネットでは何をどう騒ごうが自由なのですが、メディアはなぜこの火あぶり事件を扱わなかったのか、不思議です。

戦いたくないが攻められたら守ってほしい

某芸人がテレビで「戦いたくない、攻められたら死にます」と言った事に対してホリエモンがこれと同意見とコメントしていましたが、さすがに自分が死ぬ事まで同意見ではないでしょう。どちらにせよ、某芸人が言い出した事について批判の声がかなり上がっています。もっとも、某芸人が一人で死んでくれる事については誰も反対しませんが。

 

もともとホリエモンは日本には無関心だから、日本のために戦わないと言うのは不思議ではありません。そんな人が朝生に出ても話すことはないでしょうから呼ばなくて正解だし、出なくて正解です。ホリエモンによると日本がなくなって困るのは公務員、富裕層でそれにあてはまらない残りの7割は搾取されてきた人らしいです。なんだか申し訳ない気分になります。ただ搾取されてきたはずの7割が日本から出たときどう生活していけるのか心配です。それにしても日本がなくなって困る人に自分があてはまらないように「日本に財産を持ってる」富裕層とちゃっかり断りを入れておくところはちょっとかわいいな、と思いました。

 

某芸人とホリエモンの考え方について、「戦いたくない」という部分だけは同意見です。本当は国を守るために戦うのが当たり前だし健常だと思うのですが。戦うというと死ぬ前提になっている気がしないでもないのですが、仮に有利だったとしても無傷でいられる保証なんてないので中々戦う気にはなれません。ただし、どうしても戦わなければならない状況になったら戦うでしょう。戦いたくないが、戦わないとは言っていない。

 

でも戦いたくないのは日本だけでなく中国もです。あまり戦いたくないからこそ、船でおそるおそる尖閣をつついてみたり、沖縄は中国だと言ってみたりするのです。そこで日本の某芸人が中国の味方をしてくれたのですからさぞかし嬉しかったと思います。

 

そしていざ攻められたらどうするか、某芸人は守ってもらおうと思っていたようですが守りたければ守れという事でしょうか、非武装なのに?私は守って欲しいので守れ、と思っています。いや、守ってくださいお願いします。だから当然、武装する事には大賛成です。特に日本では国のために戦う人の割合が低いというデータがあります。戦う人が少なければ核武装は日本と相性がいいのではないでしょうか。

 

そして某芸人は選挙に行かない事を誇っていましたが、私は日本の政治に国を守ってほしいと思っているからこそ、某芸人と違って選挙に行っています。

 

皆さんには皆さんの考え方があると思いますが、日本の平和を守りたいという価値観は共通だと思います。その価値観を大事にしていれば間違えることはないと確信していますので、国を守れる政治とはどうあるべきか考えてほしいと思います。

まずは脳内で沖縄を中国にする

ウィキペディアに「中国人による沖縄県への認識」という項目があります。そこには中国人が沖縄についてどのように議論してたかまとめられています。中国では、10年くらい前から沖縄は中国だと言われ始めていたようです。10年といっても、その「成果」が10年で得られたと考えれば短いです。その「成果」というのは元日に活躍した某芸人の事です。中国がしつこく言って日本が押されたから、あのような芸人が生まれたのです。つまりあの事件は某芸人だけではなく国全体にも原因があると思います。あのような認識が広まってしまえば、どんなに証拠があっても無力です。「お前がそう思うのならそうなのだろう、お前の中ではな」ではなく、「お前がそう思うのならそう『なる』だろう」となってしまいます。「お前の中」だけの問題ではなくなるのです。放置すれば脳内で中国だった沖縄が、現実として中国になってしまいます。