【机上の空論】にどりやのメモ帳

世の中の現象や出来事は頭の中でも起きている。

増井町議の嫌韓が差別であるという印象操作

奈良県安堵町の増井敬史町議がフェイスブックで公人を罵倒した投稿をして批判が殺到、フェイスブックでは規約違反とされ、町議会では処分が検討されました。この騒動に関して投稿の内容がヘイトスピーチであるとした記事が出ています。投稿内容が伏せられていて正確な判断ができませんが、記事の内容、嫌韓を自称していたこと、公人への罵倒内容、そしてヘイトスピーチという言葉を使っていることなどから推測すると韓国、朝鮮人に対して差別をしていた、と遠回しに言いたいのだろうと思います。しかし削除された投稿には個人に対する憎悪はありましたが人種差別の要素は全くありませんでした。

指摘の多かった部分を見てみますと

「極悪非道の在日Korean」

根拠があるとかないとかそれ以前の問題として、「在日Korean」と決めつけるとなぜ差別なのでしょうか?仮に私が宇宙人だと言われても差別されているとは思いません。宇宙人であることの証拠も求めません。事実無根だったとしても差別とは別の問題であるはずです。ちなみに「極悪非道の在日Korean」と取り上げられる事が多いですが、増井の投稿を正確に書くと「日本の国益を毀損した極悪非道の在日Korean」です。なぜ、「日本の国益を毀損した」を省いて「極悪非道」を残すのかはわかりません。

「万死に値して余りある」「両足を牛にくくりつけて股裂きの刑にしてやりたい」

やっていることが外観誘致に匹敵すると思えば股裂きの刑にでもしたくなるでしょうが、これはもう差別ではなく憎悪でしょう。「極悪非道の在日Korean」「股裂きの刑にしてやりたい」と繋げて人種差別っぽくする批判がありますが、増井の投稿ではそうなりません。勝手に繋げて、勝手に人種差別と決めつけているだけです。

このような報道をするとあたかも嫌韓でいることが差別であるかのように思われかねません。「憎悪」を意味する「ヘイト」をいったん「差別」として扱うことによって、批判、罵倒の際にみられる「憎悪」を理由にそのまま「差別」とする、こんな言葉の使い方が浸透してしまったように思います。不当な差別を受けたことにすれば同情が得られ、憎悪を伴う言論を封じることができるのですから「ヘイト」という言葉を利用した印象操作が可能でありそれを実行している疑いがあります。

もし憎悪が差別の根拠として十分であるならどこの国でも同じ事が言えます。北朝鮮は明白であるとして、慰安婦で騒ぐ韓国、その韓国を批判する日本。もうほとんどの国が差別国家になってしまいます。それとも憎悪に線引きを設けて差別判定でもするのでしょうか?とにかく差別国家だらけになってしまったら増井を集中的に批判している場合ではありません。文句を言えば差別だ、とやっているのにその相手が偏っているのは本当の意味で差別です。そして言ってることが事実ではないならその事実を否定し、デマだと批判すればいいのです。

公人の立場で汚い表現をするなと言うならもっともな意見です。ただ個人的には公人が汚い表現をするのは構いません。確かに突然「ポア」なんて言葉出されたら困りますが…。ただ自分の言葉には責任を持って欲しいです。信念からでた言葉を撤回して謝罪することこそ無責任だと思っているので、そんな事は求めません。批判されている方がマシです。この件については、謝るくらいなら最初から言わなくてよかったと思っています。