【机上の空論】にどりやのメモ帳

世の中の現象や出来事は頭の中でも起きている。

タイキックされたベッキーの方向性

「笑ってはいけない」のベッキータイキックが不評だったのはベッキー本人についたおねーさん的なイメージでしょう。それを払拭するほどのリアクションをができていればお笑いとして成り立っていたと思います。お笑いもやっていたベッキーでしたが、ドッキリをかけられてから蹴られるまでのリアクションが「普通」だったので、ある意味普通の女性が蹴られてるみたいな絵面になってしまいました。そうなってしまっては面白くなくても仕方がない事です。

番組で痛い目にあったのはベッキーだけではありません。秋吉久美子もそうです。板尾とのあのシーンは正直見るだけでもきついです。これを言うと悪いのですが、あれこそベッキーにやらせてはダメでしょう。結局ベッキーに限らず、「笑ってはいけない」の刺客は皆、何かを失うのです。

 

ベッキーが笑いとして不評だったのは、蹴られるほどのイメージはなくて守りたいという心理によると思うので、そういう意味ではおいしい役になったと思います。逆に本来求められている笑いが微妙だったのは残念です。一応ベッキーも芸人みたいなものなので、特にあのような番組に出てしまってはただで済むはずがなかったのです。だからこそとっさのリアクションを頑張るべきだったと思います。

ウーマン村本、非武装中立論はどうなったか

朝生での無知を批判された村本は今何を言っているか。

これからも同じことをするとか、無知を正当化するようなこととか、学ぶからみんな教えてーとか、あれが等身大の自分で共感してくれる人がいればいいとか…

じゃなくて非武装中立論はどうしたの?

無知であろうが何だろうが非武装中立論を言い出したのなら、それを裏付けるための論拠を用意するべきだったはずです。竹島が事実上韓国に占拠されてる、中国が尖閣に来ている、それでも非武装でいてもいいという論拠です。それが聞いてみれば今まで大丈夫だっただろう(!?)という答えだったそうで、そこから突っ込めば突っ込むほどボロが出ていたのです。無知というのは結果としてあらわになった事でそこも十分批判されるべきですが、そうなってしまうような姿勢がそもそもの問題なのです。

命を奪われるくらいなら尖閣をあげる、それが尖閣をあげるという事だけ取り上げられた、などと意味不明な供述をしていましたがおそらく一部だけ切り取られて批判されていると言いたいのでしょう。しかし村本に対する批判は無知であった事だけではなく、日本の領土をあげてもいいと言った事についても批判されていたはずです。切り取られたと言うなら、こういった批判の中から無知であった事だけを取り上げてそれは悪くないと開き直る村本もやっている事です。

 

本当に反省するのであれば非武装中立論を掲げるだけの論拠を今からでも用意するべきなのです。しかしどうなったかといえば、上に述べたような状況です。武装するのはチンパンジー、チンパンジーと認めたくないから非武装中立を叫ぶとは言っていましたが叫ぶだけで説明が全くありません。こんな人間だったらそもそも議論なんてできないでしょう。というか非武装中立論の限界だったのかも知れません。

 

これからも、どうせ無知は悪くないとか言い続けて非武装中立論については黙っておくつもりなのだろうと思います。

と、今回はここで終わるつもりでした。

ところが今日、尖閣中国軍艦がやってきてその事について問われたら「お前の命をかけて阻止してきてくれ! 」と答えてしまいました。…非武装中立論を放棄するのですか?それとも武装するチンパンジーに面倒を見てもらいたいのですか?

わかっていた事ですが、非武装中立論という持論の正当化に努める様子はありませんでした。何というか、これが村本という人間です。

丸山VS橋下の損しかない喧嘩、慰安婦対談は得だった

丸山穂高が維新の批評をして始まった橋下徹との喧嘩が終わりました。誰も得しない喧嘩だったのですが、世間の反応によれば丸山の方が橋下より批判されていたので若干、橋下が勝った(?)という感じがします。橋下は喧嘩両成敗であったとしても、その負け具合を相手より少なくすることで相対的に勝ちに持って行くことに優れていると思います。ただ、なぜそれを維新の丸山相手にやったのかがよくわかりません。敵対している相手なら損をしてでも相対的勝利に持って行く事に一定の意味はあるとは思いますがそうでもない相手、維新の議員にやってもただ身内で揉めただけにしか見えません。大阪の市役所をシロアリの集まりと言ったときのように、どうしようもない仲間の中で苦労する自分を見せたかったのかも知れません。

 

何をしても平和的にならない橋下ですが、韓国の慰安婦対談のときだけは両者得したかなと思います。慰安婦が対談をして何か得することがあるとは思えないからです。むしろ橋下の、慰安婦の存在は仕方がないみたいな発言だったと思いますが、あれのおかげでわざわざ対談しなくても済んだし被害者面を保てたのですから慰安婦にとってはナイスアシストでしょう。橋下だってまさか慰安婦と対談して嬉しい訳ないでしょうし、対立を強調する事によって保守的に見せられるのですから得をしたといえます。

前川前次官の朝鮮学校差別の指摘における矛盾

「生徒たちは日本社会で育ち、日本の文化になじむ普通の若者だ。北朝鮮を理想の国だなんて誰も思っていない」

 

取材を受けた前川が朝鮮学校の無償化を訴える中で主張した事です。まず、国民が飢えていてもミサイル開発に金を使い、そのミサイルを日本に向けるような国が理想の国ではないという事が日本国民の総意であるという事を否定する人はいないでしょう。一方、朝鮮学校では朝鮮の独裁体制を称賛するような教育をしているので、その教育を認めるのならば朝鮮人北朝鮮を理想の国だと思っている事になります。従って前川の主張は矛盾しています。むしろその北朝鮮への評価が日本人と朝鮮人とで決定的に違うところであり、無償化をしない明確な理由でもあります。

 

さらに「誰も思っていない」というのは否定の表現としては強力です。礼賛教育を受けた朝鮮人という人種に対してその愛国心を否定するというのは明確な侮辱ではないでしょうか。文字通りに受け取れば矛盾どころではなく、朝鮮人への人種侵害だと言ってもいいでしょう。


「理想の国とは思っていない」こう言って思想が日本人と同じであるかのように思わせ、無償化除外が差別である事の正当性を示したいのでしょう。しかし朝鮮人が言わない事を代弁者のように発言し日本人の同情を誘うこのやり方は卑怯だと思います。思想が共通だと言って無償化を求めるのならば、その思想の違いによって無償化を除外してもいいのかと問いたいところです。

理想的な成人式

成人式と言えば新成人のバカ騒ぎでしたが、今ではそれに加えてもはや仮装パーティではないかというぐらいの奇抜な恰好が増えてきました。ハロウィンはその時期に日本的にイベントがないからまだわかるのですが、クリスマスと正月を過ごしたばかりなのに、なぜ仮装パーティをやりたくなるのかとても不思議です。子供を卒業してこれからは大人になるという意思の現れ、という良心的な解釈ができなくもないのですが…

 

そしていつもどおり、成人式で逮捕者が出ました。改造車で会場に向かって二人が道路交通法違反で捕まりましたが、どうやら成人式だから許されると思ったそうです。そんな訳ないでしょう。成人式だから許されるような法律って一つでもありましたっけ?

 

成人式が日本の伝統というのは大袈裟かも知れないけど、成人を祝ってもらって次の成人を祝う、この循環をずっと続けてきた事に何かしら意味があると思います。今のところ暴動はほとんどなさそうですが、もし暴動によって成人式が中止になるような事になれば実力行使が通ったかのようで残念になるところでした。というか中止させるつもりで暴れていた訳ではないとは思いますが、次の代はどうでもいいと考えていたのでしょうか。

 

暴動がなくなったと言えば元に戻った感じはしますが、そのかわり仮装パーティが始まってしまい、結局一般の人が思うような理想の成人式に戻れていません。一度バカっぽい流行ができてしまえば、中々おさまらないようです。


神聖な雰囲気のある会場にして暴動や仮装パーティに場違い感を持たせればいいのではないかと思います。そのために結果として高い額になるような損害が出たとしたら、それならそれで全力で金を払って弁償してもらう。成人として責任を取ってもらう事を徹底的に植え付けるのです。すごい大物の有名人なんかを呼んで暴れづらい雰囲気にするのも効果はありそうです。


様式美を損なわされたらその様式を極限まで上げて日本人の感性に訴えかければ、案外元の成人式に戻ってくれそうな気がします。

やってはいけない問題提起

最近、騒ぎを起こした後に問題提起だと言い訳するケースが多くなっています。意識し始めたのは熊本の子連れ市議のときです。そして最近だと元日に大活躍した国賊村本です。

子連れ緒方はまだマシだったと思います。結局主張したことは子育てと仕事の両立という社会問題だったからです。

一方、村本の場合はその発言の性質上、問題提起自体が問題なのにそれを問題提起だと開き直っています。問題は沖縄は中国から取ったから攻められてもいい、ととれるような発言です。これは中国が沖縄に攻めていいのかどうかは「沖縄は中国だった」の真偽よると言っている事になる。つまり侵略の正当性をその領土の歴史に求めているのです。

 

もちろん沖縄は中国だった事などありませんが歴史というのはうるさく言えばそれが正しくなるという面があります。それに領土の歴史そのものも大切かも知れませんが中国だったと言って納得する沖縄県民なんていないでしょう。

争点を領土の歴史に持って行っただけならまだ良かった方かも知れません。論点を歴史問題に移しつつ、「中国から取った」事にしたのが、この問題をさらにひどくしたところです。中国が侵略する根拠として領土問題を結び付けるのですから、論理的にはその領土の歴史についての議論に進めるべきなのですが、それをせずに中国に有利な「デマ」を前提にしてしまったのです。前提となってしまった事は根拠がなくても真実であるかのように感じてしまうため悪質です。だから村本の問題提起が批判されるのです。

一方、ガキの使いの「笑ってはいけない」で顔を黒塗りにして黒人の扮装をした事が差別だと言われていますが、これは問題提起にならないのでしょうか?あれを放送したことによって黒人が差別された歴史や何が差別なのかという議論がされるようになったはずです。差別ではない限りどう思われようとやっていく、でなければあのような芸が封印される。その姿勢で芸をやったのが結果として問題提起になったと考えることも可能です。

村本の無知を擁護する長谷川豊のような人間から見れば、黒人の差別問題に対して無知であると批判する人間も心底頭が悪いと思うでしょう。

ガキの使い、黒塗りは黒人差別なのかどうか…はどうでもいい

笑いの表現における異文化強制問題。本当にくだらない。

 

ただやっかいなのは、こういうのはすぐオリンピックが持ち出されます。オリンピックがあるから外国人に配慮を、っていうやつです。オリンピックなんてテロさえ起きなければどうでもいいし、そんなに文句言うんだったら来るなと言いたいところです。

 

しかしオリンピックは頼まれたのではなく、やりますと言ってやる事になってるので、だったらオリンピックやらないとか来るなとか言ったらそれは無責任です。なので、たとえ異文化強制だったとしても、それが世界の標準だったとしたら聞くべきでしょう。

 

ただそれにしてもこの問題に関しては大げさだと思います。変装して人を笑わせるなんて普通の事です。しかし批判する人は、わざわざ大昔の外国の喜劇を根拠にしてやっと差別だと主張しています。この指摘に関しましては大変申し訳ありませんが、そのような大昔の価値観からは脱却しているので差別であるとは全く思っていません。時空を超越させて価値観を押し付けるのはやめていただきたい。

 

確かに2020年にはオリンピックがあり外国人への配慮は必要と思われるかも知れませんが、だからこそ時代の流れに逆行するわけにはいきません。

 

テレビで放送された不愉快な表現については、起こるたびに騒いでもきりがありません。気にいらない表現は外圧とかクレームで解決するのではなく、経済的な原理で淘汰されるのが理想だと考えています。

 

多くの人が見ているのに不愉快な表現が出てしまうのは、総務省に認められたテレビ局だけが放送できて市場の原理が働かないからでしょう。電波オークションが導入されていれば競争が発生する分、少しは民意が反映されやすくなると思います。それに、免許による公共性がなくなれば、騒ぎが発生しても無関心でいられます。どんなに気に入らないテレビ局だったとしても、公共性を持つ局が理不尽に批判されれば反発してしまいます。

 

とにかく毎回文句を言ってもしょうがないので、業界のシステムそのものがどうあるべきか、その議論が必要だと思います。