【机上の空論】にどりやのメモ帳

世の中の現象や出来事は頭の中でも起きている。

TOKIOメンバーの謝罪を批判します

TOKIO山口達也メンバーが起こした強制わいせつの事件について、同じくTOKIO国分太一メンバーが謝罪していたのですが、この時に事件とは関係のない福島県産の野菜について言及されたことが話題になっています。メンバーが起こした強制わいせつの謝罪の場で福島県産の野菜を宣伝していたのです。しかしこの野菜アピールについては「本来ならば」許されないことであります。そもそも山口達也メンバーが事件を起こしたことによってイメージ的な意味でTOKIOの信頼が損なわれたからポスターがはがされたはずです。それにもかかわらず国分太一メンバーはTOKIOとして野菜アピールを続けたのです。山口達也メンバーの謝罪にあった「またTOKIOに戻りたい」という言葉に対しては「そのような段階ではない」、「反省していない」などの批判があるようですが国分太一メンバーはポスターがはがされてもかまわずに野菜アピールをしてよかったのでしょうか?確かに国分太一メンバーは事件を起こしてはいませんがTOKIOは「メンバーが事件を起こしたグループ」です。であるならたとえ事件を起こした本人でなかったとしてもTOKIOとして野菜アピールをすることはできないはずです。それが連帯責任です。

 

そうは言っても国分太一メンバーだけでなくTOKIOは強い思い入れがあって応援しているわけですからこんな批判をしてしまうのは野暮だろうということはわかります。しかしそれだったら山口達也メンバーの謝罪にいちいち突っ込むのも野暮だろうと思います。謝罪をいちいち批判するのは野暮だからと我慢しておきたかったところですが山口達也メンバーの謝罪だけが批判されていたので、それならばということで連帯責任のある国分太一メンバーを批判してみました。国分太一メンバーが謝罪の場でやったことは山口達也メンバーと同じですから。

 

そしてもう一つ野暮なこと。これは他のメンバーにも言えるとは思いますが特に城嶋茂リーダーの謝罪についてです。城嶋茂リーダーは番組の謝罪で山口達也メンバーを責めていましたが、これは一般社会であり得ることなのでしょうか?目上だろうが目下だろうが、同じ組織のメンバーが外に迷惑をかけたことを謝罪するときにそのメンバーを責めるなどという光景を見たことがありません。組織のメンバーとして謝罪するのに「あいつはダメな奴なんだ」と切り離したように責めることが理想の謝罪であるなら別にいいのですが。ただこのような光景にはどうしても違和感があるのです。芸能界は敵を作り出すような表現が好まれるのでその慣習が染みついた結果なのかなと思います。

 

最後に、強制わいせつが非親告罪化されたので山口達也メンバーは厳密にいえば「容疑者」なのですが強制わいせつそのものの話題でなかったことと、実際に山口達也メンバーを応援する方もいますのであえて「メンバー」という敬称を使わせていただきました。そして国分太一メンバー、松岡昌宏メンバー、長瀬智也メンバーそして城嶋茂リーダーにはなんとかしてTOKIOを存続させて欲しいと思います。